こんばんは。黒田です。
みんさま、ご無事でしょうか?
大地震から2週間。
3月11日。
実は、私はレッスンで仙台にいました。
いつもの、仙台南高校へ日帰りの予定で行っていました。
この日は、仙台駅から市営地下鉄に乗って、学校のそばの駅、「長町一丁目」へ行きました。
駅にみさきちゃん、ゆりちゃんが迎えに来てくれて、楽しく学校に着きました。
2階の一番奥のいつもの教室で、個人レッスン、お昼までに1年生3人終了。
顧問の石井先生と保健室で、先生方と楽しくお昼を食べました。
午後1人目ゆりちゃんのレッスンを開始。
そして2時46分。
最初、私は甘く考えていました。
揺れてるけどすぐにおさまるだろう‥
その直後、ゴォォと言う音(地面からの音なのか、揺れの音なのかはわかりませんが)と共に、体験もした事のない揺れが来ました。
吹奏楽部はパート練習だったので、生徒達は各教室にいました。
2階も沢山のパートが練習していました。
どうする事も出来ないまま、楽器を抱え、しゃがみながら揺れがおさまるのを待ちましたが、
なかなかおさまらず、私の楽器ケースがひっくりかえり、廊下にあったロッカーがどんどん動き出し、教室の電気の揺れも、ドアも窓ガラスも、いつどうなってもおかしくない状況に。しゃがんでいても激しい揺れになすすべがなく‥‥
何分だったか(結構長く感じましたが)、揺れがおさまり、
廊下から「早く校庭に出ろー」と石井先生の声。
とにかく急いで校庭へ。途中で見た光景はすごかった‥下駄箱はすべて倒れ、校舎の壁が一部落ちていて。
パーカスはマレットを持ち、サックスもオーボエもファゴットも吹部はみんな楽器を持っていました。
着の身着のまま。本当に寒かったですが、余震がおさまらず、校庭でも立っていられないぐらい。
後から考えると、1時間以上は校庭にいたようで‥‥その後、校舎に荷物を取りに。
みさきちゃん、ゆりちゃんはこんな時でも私に気を使ってくれて、教室に付き合ってくれました。
4階の音楽室に向かうと、廊下は歩ける状態ではなく、ロッカーを乗り越えながら歩きました。
その後、帰れる生徒は自力で帰り、雪が降り始め、帰れない人たちは安全な建物へ避難。
近隣の方々も学校へ避難してくる中、残った生徒達の行動に感心しました。
野球部の生徒達は、毛布やカイロ防災グッズを運び、石油ストーブを運び、割れたガラスを片付け、校庭のトイレを流す為にプールの水をバケツで運び、文句一つ言わず、どの部活の子も先生方と協力し、本当に良く動いていました。その時、まだ親御さんと連絡も取れていない生徒さんもいたのに。。。
20時ぐらいまで学校にいて、先生のお気遣いもありひとまずホテルへ避難。津波の恐れがあるため、宿泊者はみんな7〜8階へ。停電のため懐中電灯をホテルで頂き、階段で上がり、布団に入り暖まりました。
24時頃、先生と仙台市内を車で走り、ガソリンスタンドに並び給油、生徒達に少しの差し入れを手に入れ学校に届け、
ホテルの駐車場でカーナビテレビを見て、言葉を失いました。
気仙沼の火災、津波の範囲、本当に今起きている出来事なのか、全く受け止められない映像でした。
次の日、6時頃ホテルを出て学校へ。先生が会議を終え、車に戻ってくると、「何とかして東京に送り届ける」と言って頂き、
7時頃出発しました。本当なら、自力で帰りたかったのですが、
新幹線はストップ、高走道路は通行止め。
一般道で10時間かけ、宇都宮まで送って頂きました。途中、福島の道は地割れもひどく、倒壊した家屋も見ました。
宇都宮からは電車に乗り、なんとか実家に辿り着きました。
本当に石井先生がいなければ、しばらく帰ってくる事が出来ませんでした。生徒達の事も心配だったはずなのに、感謝してもしきれません。
私が仙台にいる事を知っている、女子聖の生徒達やOGから安否確認のメールをもらいました。
そして、家族にもこれほどの心配をかけた事はありませんでした。
テレビを見て‥‥本当に信じられない映像に‥‥
あんなに楽しくお昼を食べていたのに、朝は楽しく歩いてきた道なのに、レッスンもいつもどうりだったのに、
同じ場所にいたのに、私だけ帰って来て、ご飯もあり、電気もあり、申し訳ない気持ちで‥‥
気仙沼も、石巻も、松島も、私には思い出の地なんです。
東京出身の私ですが、遠い他県で一番行っているのは宮城県。
20歳の時に初めて行ってから、数えきれないぐらい行っています。
東京の買い占めパニックを見ていると、悲しくなります。
なぜ、私の住んでいる地区は停電にならないのでしょう?
一日に2回もなる地区があるのに、私の所は一度もありません。
私に何が出来るのか、どうすれば力になれるのか。
やれることからやるしかない。
被災された方に、簡単な言葉では慰められませんが。。。。
辛い苦しい毎日だと思います。
いつかきっと良い時が来るはずです。
私じゃ何の力にもなれませんが、
生きる気力を無くさずに、毎日を過ごして頂きたいと思います。
3月28日に予定していた、女子聖学院吹奏楽部の定期演奏会も順延になってしまいました。
準備してきた生徒達は非常に落ち込んでいます。
今回ホールでの演奏会は出来なくなってしまいましたが、
4月か5月に、チャリーティーコンサートを実現させたいと思います。
そして、被災地の為に音楽家の私が出来る事は、
長い期間続けてやって行きたいと思います。